あきらのギタリスト日記

上原 章 の19世紀ギター的生活

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「ハイドン オン ザ ギター」に思ふ

今年僕にとっての最大のミッションが大成功のうちに無事終了した。
集客のことを完全に無視した内容のコンサートであったにもかかわらず
結構大勢の方に来ていただいた。
本当にありがたい。
演奏のほうも本番が一番良くて、
全体としてすごく出来が良かったのではないかと思う。
弟子の2人の山内ひろみ嬢と山城技くんも3年前の
「モーツァルト オン ザ ギター」のときとは
格段の進歩があった。このようなごまかしの効かない古典物を勉強することは
2人にとって本当に大切なことだと思う。
これから更なる前進を期待したい。
当日の様子はこちらでご覧下さい。

今回のコンサートで使用した楽器は
ジョゼッペ・シアーレ 1838年
アントン・フィッシャー 1800年代中頃
ルイス・パノルモ 1840年
の3台で、ピッチは A=390
全員 完全指頭奏法で演奏した。
「モーツァルト オン ザ ギター」のときも楽器は若干違うが、
ほぼ同じような感じで演奏をしていた。
それから3年、いろいろな試行錯誤をしながら
また新鮮な発見をしたりして
この「古式奏法」にもずいぶんとなじんできた。
「古式奏法」?って聞いたことがないって?
そりゃそうでしょう。いわゆるタレガが確立したとされる
「近代奏法」や、ごく最近の合理的な「現代奏法」とはかなりの違いがある。
むしろ200年前の奏法を取り入れた私独自の奏法である。
細かいところはまた日を改めて書きたいと思う。
また来年はいろいろなミッションが控えており、
そのひとつが沖縄在住の作曲家の曲を19世紀ギターで演奏することである。
とても楽しみである。

それでは皆さん 良いお年を!





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ようこそライアさん♪

今日 我が19世紀ギター音楽研究所にライヤがやってきた!
ライヤ オープン
はやる気持ちを抑え、梱包を解いてみるキャッ

ライヤ はじめまして
おぉぉ〜〜!
「あきらです。はじめまして」とまずはご挨拶。

とりあえず助手のひろみちゃんに音を出してもらう。
ライヤ ひろみのずぼら弾き
しばらくすると、ズボラ弾きを発見!
頭と左手首を角?に乗せちゃってます。
なるほど絵文字名を入力してください

こんどは僕も弾いてみる。
ライヤ アキラ

角?に耳をあてて弾くと うわっ!なにこれっ 結構 響くし。
サスティーンめちゃ長!
オモシロイ! 初体験の響きキラキラ 

この楽器についてはこのブログものぞいてみてください♪
長谷川郁夫さんの「ギター・音楽・いろいろ」

明日の「大人の音楽会」(っていうか、もう今日だけど
早速 ひろみちゃんに弾いてもらお〜っとルン

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戦争とギター

aaa

昭和12年から18年にかけて国内で出版されたギターの楽譜を並べてみた。
まさに戦争の時代である。
そんな時代にギター愛好家はどんな曲を弾いていたのだろうか?

よく知られた世界中の名曲や
今では名前すら聞くことのないギターの作曲家たちの曲
そして戦意高揚のための勇ましい曲など その時代を表しているようで
興味深い。

しかし意外だったのは なんとも愛らしい小曲や
意外とロマンティックな曲をいくつか発見したことである。
ボクにはそれがその時代に対して抱いていた暗いイメージとは
かけ離れていて素朴な驚きであった。

そして生前母が語ってくれた少女時代の思い出、
嵐の前のような平和で静かでのどかな情景が目に浮かぶのである。
そこには確かに人々の生活があり
何物にも 代えられぬ美しい時間が流れていたのである。

しかしこの幸せな時はやがて悲惨な戦争に飲み込まれていく 

そう。暗い時代であっても、いやむしろそんな時代だからこそ
けして声高ではない やわらかな音は心にそっと染みこむように
しづかに鳴ったのであろう。

さて、今年後半の「19世紀ギターライブ」シリーズでは
上の楽譜から毎回1,2曲をピックアップして演奏する予定です。
詳細はどうぞこちらをご覧下さい。

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パパ・ハイドン

ギターでハイドンってあんまりやらないよね。
第一ハイドンはギターの曲を残してくれなかったし

ボクもこれまでにセゴビア編の
メヌエットやアンダンテを弾いたことがあるくらい。
あと弦楽器の連中とカルテットをやったくらいかな。

おっとっと 忘れておった。
そういや去年 トリオ「コルダ・ヴォータ」で
原曲はバリトントリオのやつをいくつかやったんだっけ
先月の「19世紀ギターライブ」ではフォッサ編の
ソロや2重奏曲(上のカルテットと同じ曲)と自前の編曲で
三重奏曲(Op.100-1)などをやってみた。

はまりました。

ボクは完璧にハイドンの音楽に はまってしまいました。

もともと大のモーツァルト フリークだったボクは
3年前に「モーツァルト オン ザ ギター」と題して2夜にわたり
19世紀ギターでコンサートをやったことがあるのだが
その先輩格のパパ・ハイドン(モーツァルトは心から尊敬し慕っていた)の
音楽にはなぜかいまひとつピンとこなかった。
がしかしである遅まきながらやっとその面白さがわかるようになった。

ボクもそういう年齢になったのかもしれない。

音楽のあちらこちらに仕掛けられた
ウィットやユーモア、そしてパトスに気がつくようになった。
それらは後輩のモーツァルトにももちろんあるものなのだが、
パパ・ハイドンのそれはまた味わいが違う。

それには近年盛んになったピリオド奏法を使った録音(CD)が増えてきたのも
ボクのハイドンの音楽理解の助けになった。
で今年はやります。

「ハイドン オン ザ ギター」

19世紀ギターでハイドンを思う存分やります。
お客さんが来なくてもやります!
今年のボクの最大のミッションになりそうです。

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ギター入り室内楽はスイーツ!

ボクは室内楽が大好きである。
これまでもいろいろな組み合わせでたくさん演奏してきた。

例えばベートーベンの弦楽四重奏をメインディッシュとするならば
ギター入りの室内楽はスイーツいちごケーキみたいなものである。
一部を除いては、コンサートホールでかしこまって鑑賞されるような
高級な音楽ではない。
例えばカルのトリオなどは 
ぼーっとして味わうのには最適なのである。

しかし残念ながらめったに演奏されないし
CDなども数えるほどしかない。
あったとしても満足できる演奏は なかなか ない。
それなら自分でやるしかないのである。

しかしソロと違って共演者が必要になる。
できればギター(19世紀ギター しかも指頭奏法)の音を
注意深く聴いてくれる人が必要になる。

ギターの音は特殊な響き方をする。
発音の瞬間から音が減衰し、余韻が後を引く。
その余韻が静寂の中へ消えていく様がとても

いとおしく美しい。

熱烈なギター愛好家はそんな音に魂を奪われているのである。
だから余韻を聴くことが難しくなるようなほかの楽器とのアンサンブルは
好まない人が多い。
でもその人たちは知らないだけなのである。
うまくハモッたときのアンサンブルの美しさや楽しさを。
ソロとはまた違うギターの良さを発見するのである。

楽器の機能上 ギターは伴奏役に回ることが多いのであるが
その伴奏がメチャ楽しいのである。
しかしその伴奏がこれまた簡単ではない。
一筋縄ではいかないのである。

ギターを弾くという技術的なことであれば
ソロのほうが難しいと言えるだろう。
が、伴奏には伴奏なりの難しさがあるのである。

何しろ相手がいる。
自分勝手なことは出来ないのである。
管楽器や弦楽器などの楽器の個性もあるが
その人自身の個性も人それぞれなのである。

そして一番困ったことは
何よりもこのボクが個性が強いことである。
下手すると伴奏者失格である。がっくり

しかもギター入りの室内楽に関して
それを極上のスイーツにするための自分なりの
理想像があるのである。
何かにつけて 
その理想像を共演者たちに要求したりもする。

以前はギターのほうを合わせようとしていた。
モダンギターを弾いていた頃は
シャカリキに弾いていたものである。

指頭奏法の19世紀ギターになってからは、
「ギターの音よく聴いてよね!」などと
伴奏者にあるまじきセリフを吐いてみたりする。
本末転倒である。

しかし、幸いなことにボクの共演者たちは
みな優しい。

例えば
弦楽器奏者はヴィブラートでギターの余韻を邪魔しないように
澄んだまっすぐな音を出すように努めてくれるし

フルート奏者は木製の楽器に持ち替えて
柔らかな音を出してくれる。

またクラリネット奏者は音圧を押さえるために
わざわざリガチャーを変えて吹いてくれる。

ホントにわがままなギタリストにみなよく付き合ってくれている。
感謝である。

これからもどうか懲りずに付き合ってくださいますよう
ここにお願いする次第であります。tulip1


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